「悩む」という行為は、それ自体が物事を解決してくれるわけではない。むしろ、自分の目の前の今できることに集中し、それらを実際に「行う」ことで前に進んでいける。そんな実感が、私の中ではとても腑に落ちています。
悩みが深くなるとき、私たちはつい頭の中だけで考え込み、堂々巡りになってしまいがちです。私自身、過去に人生の壁にぶつかったとき、解決策をひたすら頭の中で考えては、不安ばかりが募っていくことがよくありました。
すぐに解決するような些細な問題であればよいのですが、すぐにはどうにもできない環境・状況、または進学・就職・転職といった人生の選択、あるいは「将来食べていけるだろうか」といった漠然とした問題に直面すると、心配や不安を完全にぬぐい去ることができませんでした。
その結果、現実逃避したり、また、不安に突き動かされて余計なことをしてしまい、時間や労力を無駄にしたりすることもありました。
そんな中で出会った「RAPTブログ」を通して、「義の条件」という、具体的に神様が喜んでくださる行いを知りました。
そして、自分自身の抱える問題や悩みに囚われるのではなく、神様を愛し、隣人を愛するという「行い」に集中することで、悩みや心配もすぐに消え去り、かえって自然に問題も解決していくという体験をしています。
最初の頃は、問題をあえて脇に置いて、目の前の行いに集中することに少し戸惑いを感じることもありました。
しかしあるとき、「あくせく問題を解決しようとしても、必ず解決できるとは限らない」また、「その場で解決できても、長い目で見ればそれが最善かどうかは分からない」と気づくようになり、むしろ悩みや問題に集中するのではなく、神様を喜ばせて差し上げ、隣人を愛することに目を向けるようになりました。
そのおかげで、心もふっと肩の荷が下りたように軽くなり、さらに、RAPTブログの御言葉に沿って「義の条件」を立てることで、かえって最善の方法で、神様が自分の問題を解決してくださることを悟るようになりました。
かつての私は、「義の条件」を立てるという考え方を知らずに生き、常に幸福とは言えない毎日を生きていました。
しかし、実際に取り組む中でその大切さに少しずつ気づき、今では、それを続けることが、精神的な喜びや日々の安心、時間的な余裕、経済的な充実といった、すべての幸福の根源だと感じています。
◇神様の御言葉を実践することで、混乱に満ちたこの世の中でも、精神的にも経済的にも豊かに生きられるようになった!!(十二弟子・サキさんの証)
◇RAPT有料記事557(2021年5月8日)考えるだけで行わない人は、死んだ人と何も変わらない。しかし行った人は、主が功績者として認めて豊かに祝福してくださる。
問題に集中しすぎると、かえってその問題に縛られてしまうことがあります。問題解決ばかりに心を奪われるのではなく、まず正しい姿勢をもって生きること。その中で、自然と道は開かれるように、世の中はできているのかもしれません。そして、「生きる姿勢」は、RAPTブログを通して学ぶことができました。
問題の解決法は、「悩み」の延長線上にあるのではなく、むしろ実践するという「行い」をもって、私たちのすぐそばにあったのかもしれません。
◇RAPT有料記事558(2021年5月10日)主は行う人に共にし、力を与えられる。そして、最も行う人を最も祝福されるから、主は公平で公義な方だと誰もが認めざるを得ないのだ。
◇RAPT有料記事564(2021年6月5日)人類の救いのために熱く祈って実践する人に、主が強力に共にし、恵みと祝福を与え、この地を統治する力と権能を与えてくださる。
ぜひ、悩みがある方も、そうでない方も、一度RAPTブログを参照してみてください。悩んだり、現実逃避したり、無駄な時間にまったくとらわれることなく、本当に有意義で意味のある行いに人生を使って、より充実した幸福な生を送ってほしいと心から願っています。
お読みいただき、ありがとうございました。
コメント