前回は、シュンペーターという経済学者の考えに基づいて、学習効果による「内発的イノベーション」によって、経済成長がなされるというお話をしました。
◇現代経済学の「需要」と「供給」による市場均衡論の嘘。また、混沌とした世の中でも、自分自身を新しく創造し、経済成長し続ける秘訣。
さらには、シュンペーターは、市場経済は常に「動態的」な挙動を示すと主張し、「静態的」な挙動のみ考慮して、現代経済学の主流にもなっている「需要と供給の法則」に基づく経済モデルを批判したのでした。
確かに、現代経済学は、冷え込む経済や、高騰する物価などに、確かな理論を持って対策を講じられていないように見えます。
それでは、なぜシュンペーターの「動態的」つまり、「ダイナミック」に変動する経済モデルは広まらなかったのでしょうか。
シュンペーター経済学が広まらなかった原因として、シュンペーターが彼の経済モデルを数式化しなかったことが一つとしてあります。シュンペーターは、彼の著書において、数式モデルを書き残さなかったと言われています。
しかし、私は、数式モデルを残せなかったのは、当時から現代まで続く数学や物理学が根本から誤っていたためではないかと考えます。
数学においては、連続実数に基づく微分積分学や確率統計学を基に発展し、それらの分野によって経済をモデル化してきましたが、ハイゼンベルグの不確定原理が示す通り、この世は連続値ではなく、離散値の世界であり、微分積分学や確率統計学を用いるのは、根本から間違いということになります。
さらに、物理学においては、スタティックな従来の作用反作用の法則のみが考慮されており、ニュートンのプリンキピアにも記載された、動的作用反作用の法則は、完全に無視されてきました。
◇動的作用反作用の法則「Fv=-Fv」は、四元数の”外積”で説明される。
動的な作用反作用の法則を持って、「需要と供給の法則」を鑑みると、其の法則は成り立たないことが分かります。
実際に、静的な作用反作用の法則\(F=-F\)ではなく、動的な作用反作用の法則\(Fv=-Fv\)に、需要と供給の法則を当てはめて考えてみましょう。
動的作用反作用の法則「\(F_1v_1=-F_2v_2\)」を、絶対値を取って\(\left|F_1v_1\right|=\left|F_2v_2\right|\)、さらに\(\left|F_1\right|\left|v_1\right|=\left|F_2\right|\left|v2\right|\)とし、左辺を供給側、右辺を需要側として、左辺の\(F_1\)を供給される商品の価格、\(v_1\)を供給される商品の個数、右辺の\(F_2\)を需要側が購入する際の商品の価格、\(v_2\)を需要側の商品の個数とします。
「需要と供給」が成り立つならば、供給される商品の個数\(v_1\)が需要側が買う商品の個数\(v_2\)を上回った(つまり\(v_1>v_2\))場合、需要側の買う商品より供給される商品の個数が多いのだから、当然、供給側の設定した商品の価格\(F_1\)より、需要側が購入する価格\(F_2\)は小さくなります。
つまり、\(\left|F_1\right| > \left|F_2\right|\)となり、さらには、\(v_1>v_2\)の条件より、\(\left|F_1\left\|v_1|\gg| F_2\right\| v_2\right|\)となるため、等号は成り立たなくなります。すなわち、需要と供給の法則は、動的作用反作用の法則を用いると、等号が成り立たず、因果律が成り立ちません。
もう一つの、供給側がマーケットに出すその商品の個数を、需要側が買う商品の個数が上回った\(v_1<v_2\)の場合含め、以下の引用記事をご覧ください。
——————————————–(以下こちらより引用)
ニュートン物理学の本来の作用反作用の法則
F1*v1=-F2*v2 (F1は作用側の力、F2は反作用側の力、v1は作用側の速度、v2は反作用側の速度)とは哲学的意味での大きさと方向性まで定義された因果律の原型である。この因果律を経済学における根本問題である需要・供給の法則に適用する。|F1*v1|= |F2*v2| として更に |F1|*|v1|= |F2|*|v2| とする。 F1を供給側の提示する或る商品の価格、v1を供給側がマーケットに出すその商品の個数、v2を需要側が買う商品の個数、F2を需要側が買う時のその商品の価格とすると、v1<v2なら、つまり需要個数が供給個数より多ければ、リベラルなマーケットであればあるほど、その価格まで F1<F2 つまり需要側が買う価格 F2 まで供給側の提示価格 F1 よりも大きくなってしまう。つまり |F1|*|v1| << |F2|*|v2| となってしまう。逆にv1>v2なら、つまり需要個数が供給個数より少なければ、リベラルなマーケットであればあるほど、その価格まで F1>F2 つまり需要側が買う価格 F2 まで供給側の提示価格 F1 よりも小さくくなってしまう。つまり |F1|*|v1| >> |F2|*|v2| となってしまう。すなわち、いずれの場合にも因果律|F1|*|v1|= |F2|*|v2|の等号が成り立たず、必ず右辺または左辺が大きい不等号となる。等号が成り立って初めて因果律が成り立つのであって、等号が成り立たないとは因果律が成り立たないことを意味する。ここにアダム・スミスの言う「(神の)見えざる手」とは因果律を意図的に踏み外させる仕組みである事が分かる。現行の経済学的表現をするなら、自由な市場で有れば有るほど、絶対に均衡が成り立たない事をも意味する。
物理的世界・生物的世界までは因果律が成り立っているから、決定論的世界であり、そこに確率論を持ち込むことは全くの誤りとなる。つまり量力学等、コペンハーゲン・ドクトリン以降、アインシュタインの「神はサイコロを投げない!」との警告に反して確率・統計学化された現代物理学が完全なる誤りであることは別の章で論じたので、ここでは詳説しない。。
これに対し、人間の貨幣に基づく経済市場や、打算により政治取引が行われる政治市場である多数決原理に基づく民主主義においては、因果律が意図的にはぐらかされており、因果律は成り立っていない。よって経済・政治の分野で因果の連鎖を論理的に記述する学問的体系=科学的体系は成り立ち得ない。科学とは原因・結果の関係と連鎖を特定する点にその使命があるからである。特に、原因に対し結果がこうなるであろうと予測する経済政策論体系=経済学なるものは貨幣経済である限り、成り立ち得ないことが、ここに数学的に論証された。以降、「経済学」・「経済政策論」なるものを「科学的に論じ」ているかに見せかける行為、、「経済学」・「経済政策論」を主張する行為自体が完全なるペテンとなる。
[註]:これに対し、物々交換経済(特に更に発展し、電子マネーすら必要としなくなったインターネットに支えられた物々交換経済)においては、市場での取引に際して価値の消失・無い所からの価値の発生は起こらず|F1|*|v1|= |F2|*|v2|の等号が成り立っているので因果律が生きており、「経済学」なるサイエンスが成り立ち得る。
——————————————–(引用ここまで)
また、引用文にもある、アダムスミスの提唱した「(神の)見えざる手」とは以下のものを指します。
——————————————–(以下こちらより引用)
「見えざる手」とは、市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成される、とする考え方。スミスは個人が利益を追求することは一見、社会に対しては何の利益ももたらさないように見えるが、各個人が利益を追求することによって、社会全体の利益となる望ましい状況が「見えざる手」によって達成されると考えた。スミスは、価格メカニズムの働きにより、需要と供給が自然に調節されると考えた。
——————————————–(引用ここまで)
市場経済に動的作用反作用の法則=因果律を当てはめると、このアダムスミスの「見えざる手」とは、科学とは原因・結果の関係と連鎖を特定する点にその使命があるにも関わらず、その因果律自体を、機能不全に陥らせる働きがあるようです。
利益を追求する「資本主義」と、経済学主流派の根底にある「需要と供給の法則」の限界はここにあるのかもしれません。
また、二つ上の引用文の佐野千遥博士は、貨幣経済そのものを批判しておられますが、シュンペーターは、そもそも主流派の市場均衡論を基にしたスタティックな経済モデルを批判して、動態的な経済モデルを提唱していたので、動態的な経済モデルを考慮すれば、因果律は成り立ち、すなわちサイエンスの意義自体は成り立つため、私は物々交換にまで戻る必要はないと考えます。
そして、シュンペーターは、資本主義はいずれ崩壊し、社会主義になると述べました。こういった需要と供給の法則の不確実さが原因にあったのでしょう。
資本主義とは、個人が自由に土地やお金・道具などの資本を持ち、商売できる仕組みではありますが、各個人や組織が利潤を獲得することが目的であるため、どうしても物質的打算に陥ってしまうという欠点があります。
しかし、因果律を踏み外した資本主義が限界に陥り、崩壊したとしても、社会主義が台頭するとは思えません。各人に所得を分配しても、働いた度合いによって給料が上がるわけではないので、労働意欲は減退し、経済発展やイノベーションを阻害する要因にすらなり得ます。
近代日本で資本主義の父と呼ばれるのは、渋沢栄一ですが、実は渋沢は、一度も資本主義という言葉を用いたことがありませんでした。
彼は、「合本主義」という思想を持っていたとされ、「合本主義」とは、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」を意味します。
すなわち、「大義」を成すことを目的として、資本を集め、事業を成し、経済活動を行うのです。
シュンペーターは、資本主義が崩壊する理由の一つとして、大企業もある程度利潤を得ると、創造的破壊を行わず、既存の枠組みにしがみつくようになると述べました。それは、自らの利潤を得ることが第一の目的になっていたからではないでしょうか。一部の財閥や大企業が富を独占する構造になり、それは、豊かさをもたらしているとは言えません。
合本主義では、みんなの利益のために出資を集めて事業を興し、その事業で得た利益を分配することを目的とします。
私自身、私利私欲や物質打算に基づいて経済活動をするのではなく、大義を掲げて、事業を成したいと思いますし、世界中の企業や個人がそのような主義を掲げて経済活動をするようになることを望みます。
ここまで見てきた通り、ニュートンが書いた「プリンキピア」の注意書きに残っていた、動的作用反作用の法則=因果律を考慮することで、現代経済学の問題点も浮かび上がってきました。
さらには、シュンペーターが成せなかった動態的な経済モデルの定式化に近づいていくこともお分かりいただけると思います。
ここまで、現代経済学の問題点について見てきましたが、RAPTブログ一度でも読んだことのある方は、この世のほとんどの学問が、欺瞞と混乱に満ちた状況であることを、ご存知だと思います。
現在、非常に混沌とした世の中で、溢れる情報の中から「真理」を見極め、道を踏み外すことなく、確かな人生を歩むためにも、是非RAPTブログをご覧いただくことをお勧めいたします。
きっと、あなたにとっての「大義」が見つかり、経済だけでなくあらゆる面で、栄えと発展のある人生を歩まれることと思います。
お読みいただきありがとうございました。
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