ブログを執筆する際、周りに迎合する必要が全くない理由。

ブログやXなどで、有益な情報を拡散したり、自分の興味のある分野に関する考えを投稿したりするとき、「こんな投稿して、大丈夫だろうか。」「こんなことしたら、周りに変なやつと思われないだろうか。」と周囲の目線を気にして目立たないように、投稿することを思いとどまったことはないでしょうか。

私も、こんな投稿してたら信仰の兄弟姉妹や周りの人々に変な目で見られないだろうか。という考えが浮かぶことがありました。特に、周りで知られている常識とは異なる情報を発信するときなどに、躊躇いが生じることがありました。

しかし、RAPTブログの御言葉を通して、周りに迎合する必要は全くないということがわかりました。また、目立たないように生きることは、奴隷的な生き方であるとも知りました。

◇RAPT有料記事442(2020年2月8日)他人と同じこと、似たようなことをする者ではなく、自分独自の味を引き出し、自分の個性を開花させて行う者となりなさい。

例え周囲に奇異な目で見られたりしても、ただ神様に頼り、ただ神様だけに合わせて投稿していけばいいのだとわかりました。

そうすることで、一時的に人々に敬遠されたとしても、継続して情報発信していくうちに、いずれ発信する分野の実力も身につき、魅力を感じた人々が集まってきてくれるからです。

実際周りに合わせようとしても苦しいので、周りの次元に合わせようとするのではなく、ただ、より高い次元で物事を成していけるようもがきたいと思います。

どうか、1人でも多くの方々が、RAPTブログの御言葉に出会い、今の画一的な“奴隷社会“から抜け出して、各々個性や才能を存分に発揮する社会が到来しますことをお祈りいたします。

お読みいただきありがとうございました。

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